日本が戦争に敗れて、今年で75年になります。戦禍で命を落とされた全ての方々に哀悼の意を捧げると共に、二度とあのような戦争を起こしてはならないと、思いを強くするところです。

二度と同じ過ちを起こさないためには、日本がなぜ・どこで判断を間違ってしまったのか、検証することが不可欠です。歴史は人類が紡いできたノンフィクションであり、過去に学ばないものは、未来に必ず同じ過ちを犯します。私は義務教育では「戦前の日本は軍国主義。アジアを侵略し、悪いことをした」というとても粗雑でぼんやりした歴史教育を受け、なぜ日本がその道を歩んでしまったのか?日本はどこで歩む道を間違ってしまったのか?といった検証は、一切ありませんでした。けだし、中小学校教員の知的水準でそこまで高度な検証を期待するのも酷なことかもしれませんが、大戦から75年経ったいま、日本人の記憶はどんどん風化し、歴史認識もどんどん浅いものになっています。本稿では日本軍国主義がどんなに悪く、どれだけの災禍をもたらしてしまったのかという論点ではなく、「大日本帝国はなぜ、どこでまちがったか」という問いを、ひとつの観点から論じてみたいと思います。

「日本はなぜ、どこでまちがったか?」そのターニングポイントはどこであったか、この問いに対する答えは、決してひとつではありません。超大国たる米国に戦争を仕掛けた真珠湾攻撃が全ての間違いの契機だったか、ミッドウェーの大敗か、ナチスと結んでしまった日独伊三国同盟か、はたまた日中戦争の発端となった柳条湖事件か。どれも大きな歴史の転換点です。或いは、第一次世界大戦で欧州戦線が主戦場となり、アジアでは大規模な戦闘が行われなかったため、日本陸海軍は日露戦争以降、最新の戦略・戦術をupdateできなかった、という意見もあるかも知れません。名著「失敗の本質」にあるような、日本軍という巨大官僚組織を覆っていた、日本人特有の「空気」が根本原因という視点もあります。

そんな中で私は、日本が真の意味で進むべき道を誤った歴史の転換点は、1928年の張作霖爆殺事件である、という視点で、書いてみたいと思います。

張作霖爆殺事件とは、蒋介石率いる国民革命軍の北伐から逃れてきた、中国東北部の軍閥領袖である張作霖の乗る鉄道を、日本の関東軍が爆破した事件です。

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この時、すでに密かに満洲への野心をいだいていた関東軍は、事件を国民革命軍のゲリラの仕業に見せかけ、その混乱に乗じ「居留民保護」の名目で軍を派遣して、満洲を支配下に置く計画を立てていました。

この事件は関東軍すなわちという、大日本帝国陸軍隷下の各軍のうちでも、旅順に本拠を構える”いち総軍”が、東京の参謀本部にも、そして統帥権をもつ天皇にも何らの許可も得ず、独断で実行した作戦です。完全なる独断専行の越権行為であるはずのこの謀略行為に対し、当時の田中義一内閣は事をウヤムヤに済まそうとし、田中内閣は天皇の激しい怒りを買って総辞職したものの、事件の首謀者である河本大作大佐はじめ関係者は、予備役に編入されたものの罰せられることはありませんでした。これが「軍の独断専行は内閣に追認され、処罰される事はない」という前例をつくってしまい、のちのち、軍部の暴走を招くこととなります。

余談ですが、このウヤムヤな結末に対し、最も厳しく批判した陸軍軍人の一人が、WW2後に南京事件の責めを受けて処刑された、松井石根大将でした。松井大将は、中国では日本軍国主義の非道の象徴として扱われていますが、実のところ、孫文の大アジア主義に深く共鳴していました。中国国民党の中国統一を支援し、蒋介石と田中義一首相との会談の実現を模索していましたが、この事件で蒋介石−田中義一の距離を近づけるという松井構想も、水泡に帰したと言われています。

 

張作霖爆殺事件から3年後、1931年の9月18日(いまも9月18日は中国で、日本の支配が始まった日として、深く記憶されています)、今度は奉天郊外の柳条湖で、日本が保有する南満洲鉄道が何者かによって爆破されます。この計画を練ったのは、日本陸軍最高の天才とも言われた、石原莞爾中佐。

 

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彼は、河本ら張作霖爆殺事件の首謀者たちとは、桁違いのスケールの構想を抱いていました。石原莞爾の思想は、日蓮宗に裏付けられた「世界最終戦論」に集約されます。世界最終戦論とは、

最終戦争では航空機や大量破壊兵器によって殲滅戦略が実施され極めて短期間のうちに戦争は終結することになる。このような最終戦争を戦う国としてはブロック化したいくつかの勢力を列挙することができる。つまり世界はヨーロッパ、ソビエト連邦、東亜、南北アメリカの連合国家へと発展し、つまり日本の天皇を盟主とする東亜と、ヒトラーを中心としたヨーロッパ対アメリカを中心とした南北アメリカと、中立のようだが南北アメリカ寄りのソ連の対立となる。しかしヨーロッパは大国が密集しているため、うまくまとまることができない。ソビエト連邦は全体主義でいかにも強そうに見えるが、ヨシフ・スターリンの死後は内部崩壊する。そうなると、東亜連盟と、アメリカ合衆国の決戦となる。その決勝戦(最終戦争)に勝った国を中心に世界はまとまることになる。これは東洋の王道と西洋の覇道のどちらが世界統一において原理となるのかを決定する戦争となる

というもの。石原は、まだこの世に核兵器のない時代に、恐ろしい慧眼で未来を予測しており、実際に世界情勢は、石原の予言どおり、日米戦争へと移っていきます。石原は、その最終戦が行われる前に、肥沃な大地である満蒙を手中にしておきたかったのです。単なる一介の陸軍中佐が、ここまで世界の未来を正確に予測し、そしてそれを実際実行してしまうのは、驚嘆して余りあります。

石原の計画は成功し、関東軍は行動を開始、そして林銑十郎麾下の朝鮮軍も、朝鮮から越境し、行動を開始します。本来、皇軍が越境する際には天皇の認可が必要だったのですが、それも無視しました。石原がここまで果敢な行為に打って出られたのは、3年前の張作霖爆殺事件において、現場の独断専行を黙認するばかりだった中央の参謀本部、そして事をウヤムヤにするばかりの内閣という前例を冷徹に見透かしていたからです。実際、当時の若槻礼次郎内閣は事態を黙認、一応の不拡大方針の声明は出したものの、関東軍はこれを無視して戦線を拡大、1932年(昭和7年)2月までにチチハル・錦州・ハルビンなど満州各地を占領し、翌年には満洲国を建国してしまいます。

そして皮肉にも、石原の描いた壮大なビジョンにほだされた「亜流」の将校たちが、石原の思いとは裏腹に、無謀な戦争に突き進んでいくのでした。

歴史のifほどナンセンスなものはありませんが、もし、1928年の鉄道爆破事件において、当時の田中内閣が統帥権の独立に怯む事なく、或いは陸軍自身が内省し、より厳格な姿勢で持ってこの暴挙に対処していれば、3年後の柳条湖事件はなかったかもしれません。そして柳条湖事件がなければ関東軍の暴走も一定の歯止めが利き、もしかしたら日本は国際連盟を脱退することもなかったかも知れません。結果、日本がアメリカと正面衝突する事もなかったかも知れません。ただ、これは飽く迄”if”です。1930年代の国際情勢においては、世界恐慌の影響で世界中が不況のどん底にあり、主要国は皆、自国経済の立て直しに手段を選ばなかった時代だと言う事も、忘れてはなりません。

冒頭に記しましたが、過去に学ばないものは、未来に同じ過ちを犯します。未来に正しい判断を下すために、歴史という”過去問”を解き続けたいです。

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プロフィール

代表取締役社長
吉田皓一
奈良県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、朝日放送入社。テレビ営業部で3年勤務したのち退職し、ジーリーメディアグループ創業。東京・台湾・香港を往復しつつ、細々と事業を展開しております。趣味は酒と飯です。車・ゴルフ・時計等一切興味なし、ただひたすらに美酒と美食を求めて日本全国を巡っています。

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